悩める新人! トイレはいつも使用中…「サボール」

「こんぷらモンスターには、多くの種類がいます」。コンプライアンス研修の講師がスライドを指さしながら言う。新入社員の私たちは、スライドに映し出された異形の生物たちに息をのんだ。そのときの私は、自分がそのモンスターになってしまうなんて、想像もしていなかった。

配属されて…

 新人研修を経て私が配属された本社の庶務課は、課員全員がいつも忙しそうにしていた。質問しようとすると、必ず迷惑そうな表情をされるのが気になりながらも、明るく、元気よく、真面目に。私は研修のときに言われた通りに頑張ったつもりだ。
 ある日、顧客からの電話で、私には答えられない問い合わせを受けた。周りの誰もが忙しそうで、躊躇しつつも声をかけた先輩は、案の定、かなり忙しかったらしい。「電話にはまだ出ないで。黙って座っていればいいから!」と言って、受話器を奪い取った。その瞬間、私の中で何かがぽっきりと折れる音がして、涙が頬を伝った。

私の居場所

 女子トイレに駆け込み、奥の個室に入ってしばらく泣いた。鼻をすすりながらスマホを取り出し、同期入社の社員たちに、メッセージを送信する。すぐに数名から返事がきた。『ひどすぎ!』『私も今日こんなことが…』。優しく寄り添うような返信が温かく、落ち着きを取り戻せた。
 泣きながら出て行った手前、オフィスに戻るには勇気が必要だった。数十分も不在にしていたなんて、怒られるかもしれない…。恐る恐る席に戻ったが、皆忙しく働いていて、私は誰からも咎められなかった。ほっとすると同時に、悲しくなった。私の席には、私など元々いなかったように思えた。
 それからは、あの奥の個室にこもっては、同期と連絡を取ったり、ネットサーフィンをしたりして時間を潰すのが日課になった。私はどうせ仕事もできないし、いない方が周りに迷惑をかけることもない…。私は、サボることを正当化した。

孤独

 だんだんと、同期の返信は変化していった。返信の頻度は下がり、来たかと思えば、『後で連絡する』とか、『初めてプロジェクトを任せられた』とか。皆は相変わらず私を慰めたが、私とは違い、仕事を覚えて、前に進んでいる。私だけが取り残されてしまった。私だって、これから頑張ろうって、胸をはずませながら入社式に出たのに。今はどうだろう。こうやってサボっても何も言われない。私だけが、誰にも必要とされていない…。視界が涙で霞んだとき、名前を呼ぶ声が聞こえた。迷いつつもドアを開けると、先輩が凍り付いた表情で立っていた。無理もない。私の姿は、もう私ではなかった。

開いた扉に差し込む光

「すまなかった」会議室で課長が頭を下げた。私が席にいないことが多い、最近いつも使用中の個室があるなどの声があり、心配していたという。「配属直後にもかかわらず、気にかけてあげられなくてごめん」と謝罪を重ねた。受話器を奪い取った先輩も、それに続く。「自分が新人だったころを思い出したら、いかにひどい態度だったか気づいたの。本当にごめんなさい」。恐ろしいモンスターの姿になった私を、二人は真剣に見つめ、これからは何でも相談してほしい、と続けた。

もう戻らない

それから、課の雰囲気は変わった。先輩たちは話しかけやすくなり、時間を見つけて仕事を教えてくれるようになった。課長との定期的な面談もあり、業務にも職場にも慣れ始めたころ、トイレに行っても私の身体はモンスターに変化しなくなっていた。
 手を洗い、身だしなみを整え、鏡の中の自分に「もうあそこには戻らない」と言い聞かせて、ふと振り返る。奥の個室は、使用中のようだった。

(証言者 印刷会社の事務職員A)



※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。