お客様が変身? 勇気を持って拒絶を「カスハラー」

「すみません、そちらのサービス券は、すでに期限が切れていまして」
「それは店の都合だろ。俺にはサービスできないってこと?客を差別するんだな!」
 昼過ぎ、飲食店にとって一番忙しい時間帯に、怒号が飛ぶ。あわてて休憩室を飛び出すと、ざわつくレジには、ほかのお客も並び、列が伸び始めていた。対応するアルバイトの顔は、青ざめている。どうしようか、と考えるまでもなく、アルバイトを庇うように前に出て、頭を下げる。申し訳ございません、と繰り返しながら。ああ、またか、と思う。先月も同じようなことがあった。
 この飲食チェーンに勤めて十年以上経つ。接客の仕事は楽しいし、好きだと思う。特に、お客様からお褒めの言葉をいただくと、とても嬉しい。
 その反面、つらいことも多い。怒鳴られたり、傷付く言葉を言われたりすることもある。自分たちが悪いのだろうかと疑問に思うことも少なくない。しかし、お客様に逆らうわけにはいかない。頭を下げながら、時折、お客様が人間ではない恐ろしい姿に見えることがある。疲れているのだろうか。

お客様ではなくモンスター?

 ある日、本社で、各店舗のリーダー職への研修が行われた。配られた資料を見て、私を含めた数人が驚いていた。こんぷらモンスター「カスハラー」と紹介された写真の生き物は、確信は持てないが、店で見たあの姿ではないか。研修を担当した社員は、カスハラーに関する相談が社内で増えていることや、離職の原因にもなっていることを問題視し、会社として対策を取ることを話した。「カスハラーは、お客様が変身した姿です。過度な要求や人格を否定する発言などの嫌がらせを行うのは、お客様ではなくモンスターです。過度な要求は毅然とした態度ではっきりと拒否してください。また、対応に悩んだら一人で抱え込まず、同僚や相談窓口に相談してください。会社として、カスハラーから従業員の皆さんを守ることを約束します」
 その言葉に、私は心を打たれた。お客様はたいせつだが、だからといって、私たち従業員が、不当に傷付けられていいわけがない。つらいときは、助けを求めていいんだ。そんな当たり前のことに今まで気付けなかった。

反応

 それから間もなく、自社のホームページで、カスハラーへの対応方針が公表された。それを公表したことで、お客様を怒らせ、悪評をレビューで書かれたり、SNSで晒されたりするなど、反感を買うのではないかと考えてもいたが、意外なことに、反応は好意的だった。むしろ、「お店の雰囲気がよくなったね」「カスハラー、大変だよね」と応援の言葉をくださるお客様もいた。よく考えれば、当たり前かもしれない。多くのお客様が、お客様であると同時に何らかの形で働いており、また別のお客様と接しているからだ。

マニュアル整備

 カスハラー対応マニュアルの整備も全社的に始まった。正当なクレームをカスハラと勘違いしてはならないため、具体的なケースをもとに、カスハラの基準を定めていった。マニュアルが社内に浸透したころには、これまで一部の人しか目撃したことがなかったカスハラーを、多くの従業員が知り、識別できるようになった。その存在や姿を初めて認識して「こんなに恐ろしいモンスターと接していたのか」と恐怖した人もいたようだ。
 また、ニュースを見ていると、同様にカスハラーの対策を取り始めている企業がいくつもあることがわかった。さらには、法整備も進められるという報道もある。カスハラーの大量発生は、民間企業、行政、さまざまなところで問題視されていたことを知った。

勇気

 カスハラーには、勇気を持って拒絶する。それは、ほかのお客様のため、自分や同僚のため、そして会社のためにもなる。カスハラーとの戦いは終わったわけではない。それでも、カスハラーには組織全体で立ち向かうという意識を、みんなで共有できたことは、大きな一歩だ。
(証言者 飲食チェーン 店舗リーダーA)



※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。