「パワハラー防止法」に、希望を求めて「パワハラー」

 ふと目に留まったニュースサイトの「”パワハラー”防止法 全ての企業で義務化」の文字。そこに掲載されていた画像に写る青い姿を見た途端に、動悸が激しくなる。僕はそのとき、退職届の書き方を調べていた。

すり減っていく

「ほんと使えない! 早く辞めろよ」
 僕の作成した書類を机に叩きつけながら、先輩が叫ぶ。最初は、チクチク、くらいで胸に刺さる言葉が、だんだんと威力を増していき、グサり、と僕を貫く言葉に変わっていった。辛抱強さが取柄の僕でも、人格を否定する言葉に黙って耐えるたびに、自身がすり減っていくようで、最近は、会社を辞めることばかり考える。初めは、「そんな言い方しなくても」とムッとする気持ちがあった。でも、先輩のあの姿を見てしまってからは、名前を呼ばれるだけで身体が震えるようになった。先輩が僕を個室に呼び、説教をするとき、その身体は青く染まり、角が生え、人間ではなくなる。こんぷらモンスター「パワハラー」だ。そんな先輩に睨まれると、僕は蛇に睨まれた蛙のように、抵抗ができない。

一歩の勇気

 この会社には新卒で入り、勤続は一年とちょっとになる。配属先の営業の仕事にも慣れ、やり甲斐や契約を取れたときの喜びを感じ始めていた。しかし、ミスをしたり、契約を取れなかったりしたときの先輩の罵倒や中傷は、そんな僕のやる気を簡単に打ち砕き、喜びを消し去っていく。早く、この職場から逃げ出したかった。
「全ての企業で『パワハラー防止法』対応、加速…?」
 ネットで検索すると、近年、パワハラの相談件数が増え続けていること、企業は社員の「パワハラー化」を防ぐために、体制の整備が求められていることなど、パワハラに関する記事が多くヒットした。そこには、「パワハラを受けていると感じたら、一人で抱え込まず、相談しよう」と書かれていた。
 退職を選べば、僕は目前の苦しみから解放される。しかし、この会社でまた別の誰かが被害に遭うかもしれないと思ったとき、ふと、温和な性格の課長の顔が脳裏に浮かんだ。僕は一人で悩み、一人で退職を決めようとしている。でも、声を上げてからでも遅くはないはずだ。僕は次の日、課長に先輩のことを相談した。

連鎖を止めろ

「相談してくれて、ありがとう。辛い思いをしていたことに、気付けず、すまなかった」
 課長は、自分の部署でパワハラが行われていたことにショックを受けたようだった。考えれば、先輩は、課長に気付かれないように用心していたのだと思う。
 その後は、事実確認のため、職場で聞き取り調査が行われた。複数の同僚から、先輩と僕の様子を見たという証言があり、先輩の言動はパワハラと認定された。先輩は厳重注意を受け、懲戒処分となった。噂によれば、先輩も、新人時代に別の部署で、パワハラを受けていたのだという。「自分が新人の頃は当たり前だった」と話した先輩に対し、課長は「そのとき、自分がどう感じたかを思い出せれば、『当たり前』とは思わないんじゃないのか」と、諭したそうだ。

希望と期待

 先輩は別の部署へ異動になったが、僕自身の退職についてはまだ検討中だ。いきなり気持ちを切り替えることはできない。それでも、課長や会社がパワハラにしっかりと対応してくれたことは、嬉しかった。法改正や制度の充実があっても、世の中からパワハラが全て消えることはないとは思う。しかし、少しでもパワハラを許さない意識が世の中に広まること、いつか「パワハラー」がいない世界になることを、僕は期待している。
(証言者 小売業 営業部A)



※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。