持ち帰る。その過ちを、深く考える。「モチカエル」

 仕事を終え、帰路に就く。電車に乗って辺りを見渡すと、座席の所々に、人間くらいのサイズの、カエルのようなものが座っている。見た目はカエルだが、人間である。以前に同種のカエルだったことがある俺は、奴らの擬態に気付いてしまう。奴らは、帰るときにカエルに擬態する。見た目もコミカルで、ただのダジャレのようだけれど、これが笑えない。カエルはカエルでも、「モチカエル」なのだ。

定時にカエル

「今日も仕事が終わらない…」
 これは心の声で、間違っても口には出さない。新しい部署へ異動になってからというものの、なかなか業務に慣れず、一つひとつの作業に時間がかかってしまう。それでいて、会社は定時退社を推進するものだから、残業ばかりするのも居心地が悪い。何より、仕事の遅い自分が情けなかった。でも最近は、定時きっかりに退社する。ノートパソコン、書類を鞄に詰め込み、会社を出る。仕事を持ち帰って、家でやるのだ。気が滅入るが、遅れを取り戻すには仕方がない。

モチカエル

 明日の朝が期限の仕事が終わらず、持ち帰って終わらせる。次の日、前日の業務時間内に終わったようなフリをして提出する。それを繰り返した。
 会社の許可なくパソコンや機密情報のデータ・書類を持ち帰ること、時間外に勤務すること、いずれも禁止されている。しかし、与えられた仕事を予定通りにこなすには、そうするしかなかった。

削られていく

 持ち帰り残業によって、趣味に費やす時間も睡眠時間も削られていった。でも、仕事が遅れたら、同僚や上司、お客様に迷惑がかかる。今だけの辛抱だ。
 仕事を早くこなせるようになれば、持ち帰る必要はなくなる。そう自分を納得させながらも、いつになったら仕事を持ち帰らずに済むのだろうか、と憂鬱になることもあった。その度に、頑張りがまだ足りないのだ、と自分に言い聞かせた。

名探偵

 ある日、課長に個別で呼び出しを受けた。最近頑張っているから、まさか良い知らせだろうか、などと想像していると、応接室の扉を閉めた課長から、座って、と促される。課長は俺の目をまっすぐ見て、言った。
「単刀直入に聞くけど、家で仕事してるよね。ダメだよ」
 え、と声を出す前に、課長はさらに続ける。
「バレてないと思っているかもしれないけど、君の作成したデータ、最終の保存時間が勤務時間外なんだよね。あとね、自宅のプリンターで書類を印刷してるでしょ。紙質とかで、気付いちゃうもんだよ」
 冷静且つ鋭く指摘する課長は、さながら名探偵のようだった。俺は何も弁解できず、すぐに事実を認めた。

過ちに気付く

  機密情報を持ち帰ることによる情報漏えいの危険性、サービス残業の違法性、俺の心身への負担や影響等、様々な問題点について、課長は淡々と、そして厳しく話し、処分についてはこれから社内で相談する、とした。
 課長が悲しそうな表情で、「早く相談してほしかった。無理させてたんだね。私も気付けなくて、ごめん」と言ってくれたことが胸に響き、忘れられなかった。

そして、今

 相談しよう、と思ったことなどなかった。「仕方ない」と正当化し、無理に業務をこなそうとした。モチカエルは、様々な理由から生まれる。俺は上司に恵まれていたから、抜け出せた。しかし、世の中には、到底こなせない量の仕事を押し付けられて、全員がモチカエルになっている職場もあるかもしれない。あるいは、仕事ができると思われたくて、評価が欲しくて、自らの希望でモチカエル場合もあるかもしれない。働き方改革が唱えられるこの世の中だが、隠れたモチカエルはまだ存在している。車両内を見渡しながら、俺は過ちをフリカエルのであった。
(証言者 商社 営業企画部A)



※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。