摘めるかどうかは、あなた次第…「フセイノメ」

『フセイノメを見つけたら、すぐに摘みましょう』
 配属された食品工場で、壁に掲示されたポスターが気になった。フセイノメ?と声に出すと、それが聞こえたらしく、私の新たな上司の課長が近づき、話し始めた。
「植物の芽のような見た目でね。不正が起こりやすい場所でよく見つかるんだ。最初は小さくて、気づかないことも多いが、不正対策を怠っていると、すぐに成長して増殖する。ちょっと前にニュースでやっていただろう。長年、品質不正を行っていた会社。社内の写真が出てたけど、床も壁も、フセイノメで覆い尽くされていたよ…」
 課長は、話しながらその光景を想像して、身震いしていた。話を聞きながら、ちょっと見てみたいかも、などとのんきに考えたことを、私は後悔することになる。

きっかけ

「しまった…」
 ある日、倉庫で出荷待ちの商品を確認しているとき、ある商品の出荷順を間違えていたことに気づいた。本来なら今週出荷するはずの商品がなく、その代わりに、先週出荷したはずの商品が残っていたのだ。残っている商品は賞味期限が近く、もう今からは出荷できない。課長に報告して、訳あり品としてさばくことができればまだいいが、最悪の場合は、廃棄処分だ。「どうしよう」と、私はその場に立ち尽くした後、ふと思い浮かんだ。
「私以外は、この事実を知らない。それに、ここには賞味期限のラベルを作る機械もある。ラベルを作って、賞味期限を書き換えれば…」

芽と声

  そのとき、声が聞こえてきた。
『書き換えちゃいなよ』
『大丈夫だよ、バレないよ』
 倉庫の中には私しかいない。きょろきょろと周りを見ると、それはあった。積まれた商品の陰に生えている芽。その見た目は、生えたてのように小さいのに、腐敗したような雰囲気があり、とにかく毒々しい。声の主は、それだった。賞味期限を書き換えれば、商品は何事もなく出荷できるし、誰にもバレることはないと、その声は言う。これは、フセイノメだ。そうに違いない。私は確信し、息を呑んだ。

誘惑

 とにかく、早く摘んでしまおう。そう思い、手を伸ばして芽の根本を掴むが、なかなか抜けない。
「抜けない、なんで?」
『ミスを報告したら、怒られるよ』
『数日くらい書き換えても、何の影響もないよ』
 止まない声、抜けない芽。自身のミスへの焦りも相まって、頭が混乱する。いっそこの芽の言う通り、賞味期限をごまかすのが、最良の選択ではないか…いや、でも。私は首を横に振る。まずい。このままでは、よからぬ考えに支配される。

浮かんだのは

 誘惑に負けまいと、別のことを考えようとした。目の前の商品を見て思い浮かんだのは、少し前に工場見学に来た、小学生たちの顔だった。うちの商品は、子どもに人気がある。きらきらした目で製造レーンを見る子どもたち。お土産に渡した商品を、嬉しそうに受け取る子どもたち。見学の感想文で、「これからも、いっぱい食べます」
と書いてくれた子どもたち。その姿が頭の中に広がるに連れて、あの声は聞こえなくなった。そして、あんなにも抜けなかった芽は、すぽん、と簡単に抜けたのである。

負けない

 その後は課長に、ミスについて報告、そして摘んだ芽を提出した。注意は受けたが、フセイノメの言葉に惑わされなかったことを褒められた。子どもたちの笑顔を思い浮かべなければ、芽は抜けなかっただろう。そして、過ちを犯していたかもしれない。
 この会社の誰か一人でも、また、たったの一度でも、嘘やごまかしがあれば、安全・安心な商品は作れないし、これまで築き上げてきた信用を失う。おいしい商品を待ち望んでいる人たちの顔を想像すれば、フセイノメなんかに負けないのだ。
(証言者 食品製造業 製造管理部A)



※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。