『懐中時計』 夢野久作 著(1923年刊行)

 夢野久作というと、三大奇書といわれている怪作『ドグラ・マグラ』が有名ですが、詩や掌編小説も多く残しています。『懐中時計』は、わずか181字の作品ですが、作中のやりとりからは、現代でも通用するコンプライアンス意識の基礎が感じ取れます。以下、全文です。

 懐中時計が箪笥の向う側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。
 鼠が見つけて笑いました。
「馬鹿だなあ。誰も見る者はないのに、何だって動いているんだえ」
「人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ」
 と懐中時計は答えました。
「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ」 
 鼠は恥かしくなってコソコソと逃げて行きました

 懐中時計の台詞は、人目を避けて働く泥棒と勤務時間中でも人目がないとサボる給料泥棒のことを言っているように読みとれます。
 もし企業のなかに、人目が無いことを利用し、不正に手を染める社員がいたら…きっと、不祥事を起こし、世間から強く非難されます。
 人目の有る無しに関わらず、誠実に自分の職務を全うするという懐中時計の姿勢を見習い、鼠が逃げ出すような職場環境を目指していきましょう。